05 心にいい寓話

アイデンティティとは、アイデンティティを創造する

 複数の方に質問をもらいました。また、沢山の方がこれで悩んでいます。これに関しては沢山の本があるのでそちらも参考にして頂きたいとも思うのですが、私なりに解説し、私なりに解釈し、そして解決作を提示していきます。実際、アイデンティティクライシスは深刻な問題で精神科の一番の難題である自殺のリスクがある問題です。また、難しい問題であるのでなんどかこれも書き直しながら進んで行くと思います。

 よろしくお付き合いくださいませ。

アイデンティティとはなにか? なぜ重要なのか?_

 外来で「貴方はなにものですか?」とよく質問します。簡単にいうとこの答えがアイデンティティです。自分が自分である確からしさのことです。

私は心を家によく例えます。貴方の家はどんな家ですか? 門扉はこうで玄関はリビングはこうでと答えやすいはずです。アイデンティティは、心を家に例えたときににでてくるイメージと家の確からしさにあたります。

この感覚と概念は複数の要素でできており、個人差が多いです。趣味や嗜好、考え方だけでなく人種、ジェンダー、時代、人間関係、仕事、年齢等様々なものがこれを構成します。

母(親)と一緒にすごす乳飲み子の時はこれは曖昧で”自分”というものが曖昧になります。簡単にいうと自分のでなく親の家(アイデンティティ)にいる感覚です。学童期、思春期をへてアイデンティティという心の家を少しずつ作り快適になるように整備し、やがて親元を離れ、独り立ちしたときに心の家であるアイデンティティは独自のものになります。

 この心のイメージがあると人は選択肢に迷わなくなり、ストレスに強くなります。行動に一貫性ができてきて大きな仕事もできるようになっています。

 周囲の人もアイデンティティがはっきりしている人は一貫して接しやすいです。昨日のあなたと今日の貴方が一致している。おそらく明日もそうだとうという感覚は安定した人間関係には必要なものです。まさしく貴方を守る家なのです。

 では、どういうときにアイデンティティが問題となるのでしょう?

アイデンティティがないとどうなるか?

 自分というものがないと人は選択できなくなります。極端な話、男子トイレに入るのか女子トイレに入るのかは、ジェンダーの感覚があるからです。ニュースのなかでなにを読み始めるかを選択するのも職業や地域性のアイデンティティで国際ニュースでどんな感情が湧くかもそうです。伝統的な王室や貴族のニュースをみて感情が湧くのもアイデンティティのなせるわざです。極端な話、戦争と平和、環境保護活動もアイデンティティがあるからだといえます。小さいものから大きなものまでアイデンティティはあり行動の選択に意味をもたせます。

 アイデンティティクライシス

 アイデンティティは、人生の岐路において大きく傷つきます。典型的には、思春期青年期に社会にでるとき、女性が妊娠出産を経験するとき、体力が衰え出す中年期、そして仕事をやめて家に入る老年期、国が大きく変わる時があります。

 思春期青年期のアイデンティティクライシス

 小さい頃は自分がなにものかなんてだれもわかりません。この自分とはなにかきかれたら話せるのは家族の事でしょう。日本だと小学校からいろいろ学び段々と親と自分は違うこと、そして他のみんなとの違いを学んでいきます。このときに、様々な集団や活動を通して、アイデンティティがゆっくり形成されていきます。

 ところが、集団に上手く馴染めなかったり、人種や性的な問題で悩んだり、いじめや虐待や親の病気などの否定的な体験をするとこの形成がうまく行かなくなります。

 アイデンティティの概念を提唱したエリクソンは、ドイツ帝国に生まれたユダヤ系デンマーク人で、父親は不明で、ドイツ人コミュニティにも、ユダヤ人コミュニティにも帰属できず悩んでいたそうです。

 こういった集団による帰属だけでなく、他にも他者からの評価や仕事などで決まります。クラスの中のヒエラルキーや部活や勉強でのキャラクター付け、否応なく他者は貴方を規定しカテゴライズしてきます。それだけでなく良い奴、悪い奴、出来る奴、など曖昧なカテゴライズもあります。この際、ネガティブなカテゴライズは自己肯定感、実効感、自己愛を大きく損ないます。そうしてでてくるのは言い様のない孤独感、生きている実感のなさです。

家庭がこの傷つきに対して良好に機能していれば、港のように船を休ませまた大海に泳ぎだしていくということを繰り返し人としての生きる力をつけていくことができます。ところが、その機能不全があった場合や、本人の傷つき方がとてつもなかったりすると、この傷付きは進行し、それを社会的引きこもりやインターネットゲーム依存へとつながっていきます。ただ難しいことに家自体が完璧なほど居心地が良すぎたりすると引きこもりを加速させたりするので、これは塩梅は難しいです。

 最悪、生きている意味がわからない、死んだ方がましだと自死につながっていきます。

 この傷つきに対する解決方法はシンプルで生きていく経験からそれがなされます。多くの人はあの時は若かったなと思い返せる体験となります。

妊娠出産後のアイデンティティクライシス

 これも多くの人が経験する傷つきです。それまで会社、友人、サークルなどいろんなものに所属し、自己を証明するものをもっていたのに母(父)として生きねばならなくなったときに多くを捨てねばなりません。人として、女(男)としてのアイデンティティが急に母(父)としてのアイデンティティになったときに人は変化を求められます。また、自分のために生きることが、子供のために生きるという風に変わっていきます。また、子育てが終了したあともずっと子供のためだけにと暮らしていた目に自分のために生きるといったことができないセルフメンテ不全のような状態になり中年の危機につながっていきます。

 このストレスは産褥精神病や、うつ病、アルコール依存症などの疾患につながっていきます。

伝統的な社会では大家族でコミュニティで大勢で子供をみていたためにこの危機は今ほど明らかではなかったと思います。核家族化がすすみ知識も道具もサービスも充実していますが、一人にかかるプレッシャーや責任は以前の比ではありません。もはやどうしようもないとはいえ、なかなかタフな問題を世のお母さん達は頑張っているのだという印象です。

 この解決方法はやはり、物理的な面でのサポートとメンタル面でのサポートという両車輪が必要です。休養と孤立の解消なしに解決は難しいでしょう。

中年期のアイデンティティクライシス

40代から50代にさしかかると、先行きが大体想像できるようになります。また、老眼が始まりポツポツと友人達が亡くなったり、左遷されるなどネガティブなニュースを聞いたり、病気がでてきたり、体の衰えから以前出来ていたことができなくなってきます。閉経や男性機能の衰えなどジェンダーに関することも様変わりし、新しい事もチャレンジできなくなるどころか、やめないといけないことも増えてきます。

 若い頃に馬鹿にしていた中年に自分がなりはじめると、今度はブーメランのように若い人達の目線が痛く感じられます。

 こういう中年になりたいと思っていて目標がありその目標が達成出来た人はまだしも、なりたくないと思っていた人にとっては苦痛そのものです。なにかを失い続けているという感覚は辛い物です。

 この問題は、診療上ではアルコール依存症や、更年期のうつ病で観察されます。

 仕事一筋の人間がその仕事で報われない。子育てが終わったら何者でもない自分に気がつき仕事で遮二無二に頑張ったら疲れ果ててしまう。頭痛やほてりやめまいが辛い。親友が病気でなくなる。離婚を経験する。などなどです。

 ずっとお酒を飲んでいて入院で体がよくなり3ヶ月も酒を抜いてみるとなんでもやれる気がする。ところが実際に仕事に戻ったり仕事を探すとみつからなかったり以前のように上手くやれない。世の中に必要とされていない気がする。

 子供が巣立ち、旦那との仲は新鮮味がなく友人は子供を通じて仲良かったばかりで特に今は交流がない。女性として母として生きてきたけどただの人間として生きるにはどうやればいいのかわからない。そうこうしているうちに体は徐々に衰えていく気がする。

 そのように喪失体験と帰属している場所の変わりようで存在の確からしさに変化が訪れます。

この対策は準備とそして再出発です。周りをみてこの準備が出来ているかいないかで大分かわります。これから先の道のりは長いのですから、老いに備え、失った物は振り返らず、新しい人生を再出発するようになればこれは危機というより試練となります。

老年期のアイデンティティクライシス

 これは本当に難しい問題です。なぜなら人生で最悪の敵”死”がテーマであるからです。老年期うつ病で問題になります。老年期になると積み上げるものより失うもののほうが多くなります。どんな薬や治療方や言葉よりも”死”は圧倒的な現実です。みているとここに至るときには準備をされてこられた方のほうが危機が少ない気がします。このあたりを身軽にやられているかたは、捨てることが上手で沢山のものを抱え込まないような印象です。やれないことを悔やむよりやれることを楽しんでいるという印象で、失った人々を思うより今、隣に居る人を大事にしている気がします。

 ただ、現実は圧倒的でいつか行く道だと思いながらも失い続けるその姿にかける言葉が見当たらないときも多いです。

生き方はもう選べない。だけど死に方はまだ選べる。それに対して前向きになることができたり、積み重ねてきた物で残った物を大事に出来た時は悪い時期じゃないです。人生における冬。でも、冬を楽しむ方もいる。

この時期の対策は私にとっては未だに勉強中です。皆様の生き様をみながらまだ学びの途中です。

 僭越ですけどアドバイスとしては、理想的な死に方をゴールにして逆算していくと迷いが少なくなる印象です。

帰属集団のアイデンティティクライシス

 私の祖父は踵に銃弾の傷跡がありました。太平洋戦争でついた傷でした。もう戦争を経験した人も少なくなってきました。我々は明治維新と第二次世界大戦後と大きな日本人としてのアイデンティティクライシスを経験してます。

イギリスは、アングロサクソン人の征服によっておこり、アメリカは移民の国です。両者とも建国に神話がありません。ヨーロッパ各国にくらべるとアイデンティティが浅いといえ、征服という振り返ってみればバツの悪い行為が根底にあります。

 現在は個人主義が普通なので歴史を知らなければ”日本人”という感覚やイデオロギーやナショナリズムがどんなものかはみなさん、想像するしかないでしょう。

 このようなアイデンティティの傷付きは私達日本だけではないです。

そもそも征服者の国であるイギリス、移民者の国であるアメリカは神話レベルでのアイデンティティが乏しかったり、根源的なアイデンティティに傷付きを抱えています。それだけでなく、被征服者としてのネイティブアメリカン、アフリカン、そしてケルトの人々も同様です。この傷付きは何世代にもわたってしこりとして残っています。明治維新で文化を大きく変え、戦争にまけ占領政策に翻弄され続けている日本のナショナリズムを嫌う風潮があった時期もありました。

 ”我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”という言葉はゴーギャンの有名な絵画のタイトルです。このことを示すのがアイデンティティの問題でもあります。

 アイデンティティの傷付きは”長距離ランナーの孤独””ライ麦畑で捕まえて””夏目漱石のこころ””村上春樹のノルウエーの森”でもおそらく根底にあるテーマだと思います。これらの小説が普遍的なヒットを飛ばしたのは、子供から大人にかけてのアイデンティティの傷つきだけでなく、国民全体が”自分たちはなにものか”という問いをされたときに大きな分断と傷付きを感じたからではないかと私は考えています。

 アイデンティティはあればいいのか?

 こうやって俯瞰していくとアイデンティティに対する疑問がでてきます。

 アイデンティティが重要なのはわかった。でもアイデンティティに苦しめられているのではないか?ということです。

 そもそも猫や動物はアイデンティティを(おそらく)もちません。遺伝子に刻まれている本能だけで生きています。あとでも書きますが、アイデンティティは持つ部分と、持たされる部分があります。循環的に考えれば同じことなのですが、自分=脳と考えてしまうと、アイデンティティは確固たるものとして考えねばとなります。

本当にそうなのでしょうか?アイデンティティがないといけないのでしょうか?

 次はアイデンティティの形成をみていきましょう。

アイデンティティが確固たる物になるのに必要な条件 一般論

 

 青年期のアイデンティティ

 必要なものは大きく三つ。知能と家庭(社会)の保護機能と社会における体験です。地面と外壁と家具です。 

 まず第一に知性がある程度必要になります。詳しくは割愛します。幼ければアイデンティティは未熟なものか言語化できません。なにものと聞かれたら名前と年齢を言えるぐらいでしょう。

第二に、幼児期における家庭(社会)の庇護機能です。貴方に自由と選択をあたえ、学ぶ機会と人間としてのロールモデルを与えてくれる存在があって初めて安心して社会と接することができます。

外に遊びに行ける家とは何でしょう?危険な場所をおしえ、回避の仕方を教え、様々なハウツーを教える。そして転んで怪我してきたら怪我を水で洗い手当てしてくれる。そんなシェルターがなければ社会的な経験は難しくなります。

虐待がある家庭、親が病気の家庭、閉鎖的なコミュニティの中にいる家庭で克つ社会と価値観や考え方がずれている場合、社会的な摩擦があればアイデンティティの形成がずれたり チグハグだったり、不全感を持ちます。極端な話、テロリストに育てられたり、極貧で育つと、それが100%子供がだめになるわけではないですが、当然社会とスタートがずれてしまうということになります。ただ、繰り返しいいますし、後でも解説しますが、そんなスタートだったら試合終了ではありません。洞窟だって人は生きていけます。キャンプは楽しいです。悲惨な環境でも生き延び楽になった人はいますし、そういう人は尊敬できます。問題はそこで下を向き諦める事です。アイデンティティのからくりをしれば、何歳になっても作り直せることに気がつくはずです。学校、友人、病院、福祉の人々。伝統的社会には存在し現代では失われ、福祉という形で再現しつつある庇護機能が今後も充実していくことを願います。

アイデンティティは高尚な魂や宝石のようなものでなくて、住む家ぐらいの話なのです。最悪、土地と棒と布があればなんとかなります。未来にむかって一歩一歩あるくそんな貴方を尊敬してます。

 第三に社会的な経験です。頑張ったら報われる。悪いことをしたら怒られる。様々な価値感や人間関係、グループに入ったり一人で旅にでたり、スポーツや文化的交流を通して自分というものに気がつきまた自分を形作っていきます。自分探しの旅というのもこれにあたります。庇護機能が必要なのは多くの場合ここで傷つくからです。不正や嘘、だましてきたり搾取しようとしたり、差別やマウンティング、やったらやりかえされる世界。世界はカオスで秩序があるのはほんの一部分です。初恋はかなわず、夢をかなえるには遠い道のりで明らかに自分より優れている人間が夢を諦め続けている現実。自己認識はポジティブな側面だけではありません。

 マンガでは蜂蜜とクローバーという傑作マンガがこのアイデンティティ形成について感動的に表現されています。「青春じゃあ!!青春様が帰ってこられた!!」

 その他の時期のアイデンティティを作り直すには

 これもほぼほぼ同じなのですが一つ違うのは準備です。

 先々に予想がついている場合人は準備ができます。妊娠出産後に一人にならないようにしたり、中年期には体の衰えを感じた上で趣味や習慣をかえていったり、老年期には資金を蓄え衰えた体でも続けられる趣味に変更します。我々は親や先輩を通じて学習できます。

 老人を大事にするようにというのは本当に金言で、接しながら我々はいつか通る道について貴重な学習ができているのです。

 1)理解する力

 これはうつ病やアルコール依存症やワーカホリックの場合はその変化に気がつかない場合があります。普通にしていれば、体の変化や、感情の変化、状況の変化に気がつき学習がなされるのですが、精神科の病気があると学習がなされなくなります。時にそれは悪循環を問題を極端に悪くします。 

 老年期だと認知症があります。

2)庇護機能

青年期と違い親である必要はありません。友人や趣味や仕事の仲間、自分で立てた家、好きな本達など問題を忘れ棚卸しできる場所であればどこでもいいです。同じことを考え続けると細胞が傷つくので悩みすぎは脳を疲労させます。そのための休息の機能が必要です。

 なにもなければ、各駅停車の電車にのって旅にでることを勧めます。バスでもいいです。眼球運動を刺激し海馬を刺激して忘却と記憶の整理が進むからです。上野発の夜行列車と連絡線とかもめと雪は鉄板です。車があるかたはドライブ、体力があるかたは登山やスキースノボ、お金がある方は海外旅行などがお勧めです。釣りや焚き火もおすすめです。

3)新しい経験

 妊娠出産後ですと子供の関係性のなかに、中年の危機ですと新しい関係性や実行機能の確認、老年期ですと自分の人生の決算というものが典型的です。ですがそれ以外にも様々な経験があります。厳しい親と離れ本当の意味で独り立ちをしたり、定職に就かずフラフラしていた息子が恋を切っ掛けにきちんと仕事をしたり(映画”息子”です)、強迫神経症の恋愛小説家が犬を預かったことを切っ掛けに生活が変わったり(映画”恋愛小説家”)たばこ屋の主人が趣味で毎日同じところから写真を撮っていて、古い写真からあるものをみつけたり(映画”スモーク”)します。そのドラマには枚挙にいとまがないです。別れがあれば出会いもある。年々歳々人同じからず、歳々年々花相似たりです。

4)備える

 生きるのが上手な人はこれが上手な気がします。学習し備える。期待しすぎないけどきちんと楽しむ。結婚なんかは備えるのは難しいですよね。あんまり怖がったり準備だけでも結婚が怖くなります。余談では統計ではアメリカの離婚率は下がってきているようです。仲が悪かった両親から学習したようです。日本も同じになればいいのでしょうが。女医さんではあとあと結婚が大変になるから学生の時に結婚するという考えの人が結構居たことを卒後20年経ってしりました。脳天気に遊んでいた私とは大違いです。

この準備をして臨むスタイルは中年や老年期にこそ光り輝く戦術です。経験と知識がものをいいますから。 準備せずともイメトレのように”先を予想しておく”というだけでも十分なので知識として備えるというのでもメンタルヘルス的にはいいと思います。ただ時代に関しては若者から学ぶ必要があります。

 これで思い出すのは”天才柳下教授の華麗なる生活”です。好奇心と知識欲は何歳になっても旺盛でいたいものです。

アイデンティティの形成を心の循環理論で考える

 さて、ここまでは一般論でアイデンティティを考えてきました。ここからは個人的な考えです。アイデンティティは重要でこの傷つきは自殺をしたくなるぐらいの大きなものであることは否定しません。ですが、にゃんこ先生は縄張りはあってもそれほど複雑なアイデンティティを必要としません。

 野良猫として生きる事 家猫として生きる事

私が10代だったころの好きなものがたりに”ハーフブラッド”の話があります。今でも結構ありますが。代表的なのは吸血鬼と人間の合いの子の話です。バンパイアハンターDという話に夢中になりました。人間からは吸血鬼だと恐れられ、吸血鬼からは半端物だと貶められる。今だと”ブレイド”ですかね。

在日韓国人の子が主人公のGOという映画と小説は、自分は何人かという強烈なアイデンティティを巡る物語であるとも言えます。これは大好きな物語です。

 アメリカンビューティは中年の危機がメインテーマですが、それぞれに思春期、性的なアイデンティティなどもちりばめられたアカデミーもとった傑作映画です。

 アイデンティティの問題を形成の視点と俯瞰の視点と両方でみると、”必要とされるアイデンティティ”と”集団から要求されるアイデンティティ”の二つの側面があることに気がつかされます。ここでもう一つの側面をみていきましょう。「集団とはなにか?」

集団の種類

 児童思春期心理の概念に、ギャング、チャム、ピアという言葉があります。

ハリー・スタック・サリヴァンが提唱した概念で、発達の段階で子供達は三種類の集団を形成してアイデンティティを獲得し大人になっていくという考え方です。

 最初はギャンググループです。これは「同じ事をする」ことを基調に集まる子供達でサッカーやゲーム、探検ごっこ、ままごとをやるというグループでだいたいジャイアンみたいなボスができます。小学校の男児は大規模なグループをよく形成します。

 次にチャムグループ。「同じである」ことを基調に集まる集団です。親友グループですかね。ずっと一緒であったり秘密を共有することが特徴です。同じ夢を持つとかもあります。中学校の女子がわかりやすいです。男児は同じ時期にチャムとギャングを行ったり来たりしてます。

 最後がピアです。これは典型的には高校の中盤以降や大学などでみられるもので「みんなちがってみんないい」みたいな集団です。同じ事もしないし、同じである必要もないけど、お互いに支え合うような関係です。「俺はこの夢に向かって頑張るからお前も頑張れ」「俺もつらいけど、お前もつらいんだな」みたいなグループです。

 集団から要求するアイデンティティ

 前述の三つのグループを通してアイデンティティが形成されると考えるとアイデンティティは三つのテーマがあります。

  1. 同じことをする。
  2. 同じである。
  3. 違うけど支え合える。

 これは私の価値観でもあるので、偏っているのは自覚があるのですが、③は非常に大事だと思うのですが、①と②は貴いとは思うのですが、発達の課題も持っていたり、何らかの理由でマイノリティ要素がある人間にとってはちょっと辛いなと思いますし、そこまで大事だとも思えないんですよね。アイデンティティの悩みをもつひとと治療を通じて話したり、様々な物語に触れる度に①と②で躓いて傷ついている人を見る度に「もういいじゃん大人になったんだし」と思いますし、現在進行系の子供と話しても「大丈夫だよ、違っていいんだよ」といいたくなります。インターネットを通じて考え方や価値観を自ら選べる時代です。仕事もかなり自由で沢山のなかから選べます。精神科の門戸を叩いた段階で、群れからはぐれたみたいにはなっている方が多いのでなおさら思うのですがちがっていいんじゃないでしょうか。

循環理論からみると 

 心の循環理論は簡単にいうと、インプット、脳、アウトプット、外界すべてが心であるという概念です。

01A)こころとはなにか? こころの循環モデル (難しいといわれているので書き直し中です)

 情報の流れでいうとすべては連鎖し、繰り返されフラクタルを形成しそこから現れたフラクタルを我々は認識しているという考え方です。

 このなかでアイデンティティの場所を静的に考えると、当然脳にあります。でも、それらはインプットを通じて外界から規定された物です。そのインプットは我々の言動や行動であるアウトプットを通じて影響を与えられた環境からきます。この4つの要素はつねに連続しあいます。

 するとアイデンティティ自体は一見、世界に規定されているようにみえますが、自身のアウトプットにもつねに影響を受けます。子供のころはまだしも、自由度が広がる大人にいたってはその影響は当然大きくなります。

 そうなると簡単にいうと人はアイデンティティをある程度選べるようになります。つまり、自分がきめた何者かに自分からなるということができます。

 この四つの要素をスムーズに流していくと考えるとアイデンティティは非常に大事でアウトプットの質にかかわります。なければ確かになにをやったらいいかわからないでしょう。

 でも、アイデンティティがなくても、選択肢を選べたらそれでいいのです。ゆっくりでも人と違っても、生き方に迷っても最終的に生きてさえすればそれでいいのです。逆にいうと国籍やイデオロギーや性別や職業や人種や時代で心の健康が左右されることのほうが、精神科医的に考えると変だなと思います。平穏や平和をもとめるのならば、その為に必要なアウトプットをしていくだけの事ですし、この時代でかつ平和に日本においてなら、循環的な流れを認識したのならば自分の価値観や心の声に従って望む方にいったほうが最終的には楽になっていきます。でも、その逆もしかりで傷ついたアイデンティティを抱えて生きる物語に私は強く惹かれます。アイデンティティは生きていく為の道具のようなもので、混沌とした世界に道筋と融和をもたらしてくれますが、我々はアイデンティティを獲得するため生きているわけでなく、生きる為に生きているわけです。その為にアイデンティティは便利だし大事ですけど、それに振り回されては本末転倒な気がします。

 またアイデンティティの傷つきを抱えた人の物語は、胸を打ち私にとっては魅力的な物語です。人ごとだと言われるかもしれませんが、居場所を探して彷徨する物語は人を感動させるからこそ、普遍の文学や芸術たり得るのです。

 これは個人的な価値観ですけど、心の循環論で考えれば安定した人間というのは、「人が自分にやって欲しいことを自分が人にしてあげられる人」という本当にシンプルな結論になります。「なさけは人のためにならず」「話し上手は聞き上手」この小学校でも教える単純なことが心と社会に安定をもたらします。これが本質だと考えると、自分とは何者であるかという問いによって苦しむならば、そのアイデンティティの苦しみから解放してくれる人間、すなわち「貴方がなにものでも一緒にやっていきましょう」という態度の人間になることそのものが自分をこのアイデンティティの鎖から解放される唯一の方法であります。逆にいうと安定した自分の存在の確からしさとは結局、他者との関係を確からしいものにし安定することでしか得る事ができません。

 アイデンティティで傷ついた自分に”それでいいのだ”と声をかけてあげてください。ただ毎日を生き延びていきましょう。同時に、まわりに同じようにアイデンティティの傷つきがある人間がいたら優しい言葉をかけ応援しましょう。我々は何者かであると同時に何者でもないのです。花には名前がありますが、名前がなくても美しさはかわりません。 

 アイデンティティを捨てろとかは到底いえませんが、アイデンティティ関係なしにやれることをやり、そして傷ついた人がいたら慰めてやれる。そんなことが結局はアイデンティティを構築し育てる方法であると私は考えています。

 アイデンティティの傷つきそのものが、人に対して優しくなれるチャンスであると考えると、その苦しみもそれほど悪くないと私は考えますがみなさんいかがでしょうか?

  • この記事を書いた人

モジャクマシャギー

 アラフォーの精神科勤務医です。自分の外来や診療が円滑になり、利用者さんの治療がスムーズになることを目標にブログを書き始めました。   ですが、いろんな方にもみてもらってやくにたてたら嬉しいです。  病棟業務を中心に児童から認知症、最近はインターネットゲーム依存まで幅広くみています

-05 心にいい寓話