フラクタル。この用語は何度もでてきます。
心を科学的に突き詰めていくとぶつかります。
この説明は専門外なので検索して調べても欲しいんですが、私なりに説明します。誤解を恐れずにいうとフラクタルは種と花です。
結論からいうと
- フラクタルは小さなパターンの繰り返しによっておこるもので相似性とカオスを描く。
- 相似性は全体と細部が似ている。
- カオス状態になると、結果から原因のパターンが逆算できない
- 脳神経細胞はフラクタルを形成する。
- 社会や自然のありとあらゆる事情もフラクタルを形成する。
- その上を通る情報もフラクタルの影響を受ける。
- 結果、心もフラクタルを形成する。すなわち病と治癒もそうである。
- 心は相似性とカオスがあり、相似性は似ているように見えるが同じではない。
フラクタルとは自然界に現れるスムーズでないパターン(円とか直線)を調べた結果、単純な構造の繰り返しによって起こる図形と酷似していた。その結果全体と部分は相似する場合がある。このような自己相似系のパターンは結果から原因が逆算しにくいこともありそれをカオスと呼ぶ。
さて、多くの人がここで脱落します。あなただけじゃないんです。大丈夫。
このパターンは花にあらわれます。ダリアで検索すると様々な品種改良の結果、様々な品種で現れます。どれも似ているようで違います。
”ダリア、種類”で検索してください。また、同じ品種であってもよくよく見るとまったく違います。花自体も幾何学紋様を描いています。 どの花もにてますが、違う。
多くの生物は細胞分裂によって発生します。一つの物が二つに分かれるというシンプルな繰り返しで成長する。その結果幾何学的な紋様を描くが、最初のDNAのびびたる違いで結果が大きく違う、またDNAが同じでも生育環境で違う。種→花の間にかなり距離があり混沌としているようにみえるというのがカオスです。
このような単純なパターンから複雑な相似性を伴うパターンは自然界のいろんな場所にみられます。宇宙と地球、株式から恋愛、病気から成長までみられます。いわゆるスピリチュアルなことでなく、これは数学とコンピュータの計算で実証できることなので非常に科学的です。
ジョークの様に聞こえるかもしれませんが、この理論を提唱したマンデルブロ博士は株式相場の研究がスタートみたいです。そこでドイツ占領下のフランスで父にもらった未解決の数学上の問題を解くようにすすめられたそうです。ところがまったくとけなかった。コンピューターにいれてみたら、非常に美しいがランダムにもみえる図形が現れて、それが有名なマンデルブロ集合という名前がつけられたのです。
https://www.youtube.com/watch?v=4OfTZ8K7bA0
その後も研究を続けフラクタルという概念を導入しました。
フラクタルのことをつきつめて考えると一つの”愛は種、心は花”という歌の歌詞のような命題がでてきます。
フラクタルの特徴は3つ
- 1)最初は幾何学的(計算しやすい)だけど、後半はカオス(計算しにくい)になりやすい。そのために逆算できない。
- 2)全体と部分が相似している場合が多い。
- 3)初期値で結果がまったく違う。
自然界の多くがこのフラクタル構造でできていて、人間の神経細胞もこの構造から逃れられません。
”神経細胞 写真” ”夜景 空撮”で検索してみて、写真をくらべてみましょう。夜景は碁盤目状に作られた都市とランダムに作られた都市とでてくると思いますが、ここで比較して欲しいのは碁盤目状の都市です。神経細胞と無計画に作られた都市まったく違う物が似ていることに気がつくはずです。
なので、この法則を人間の脳、ニューラルネットワークに当てはめると。
- 1)基本的には神経細胞は神経細胞の単純な連結の繰り返し構造であるが、全体的な構造はカオスである。
- 2)他の脳と類似しているが違う。
- 3)どのような脳になるのかは発生の前段階である程度きまるが双子でも差異が出現する。
かみ砕いていうと、人と人の感じ方考えはまるで違う。どうしてそうなったかはわからない。ということです。当たり前のことですよね。これはみなさん、日常で観察されていると思います。
となりさらに、脳の中を通る情報に関しても以下のようになります。
- 1)情報の上流は基本的に自然界なので、カオスの影響を常にうける。
- 2)多くの場合はカオスのなかに現れたパターンを情報として認識している。
- 3)人の脳を通り抜ける間に脳のカオスの影響を受ける。つまり情報が曖昧さを帯びる。
- 4)情報の流れは逆算できない。その結果も予測できない。
- 5)自然界に文字情報なので基準を作り常に修正しなければずれていく。
- 6)繰り返し構造のなかで一定のパターン(病など)を起こす場合がある。
- 7)逆に繰り返し構造のなかで美しいフラクタルを描く場合がある。
- 8)情報の上流、基準にあたるものは、上澄みのようなものは幾何学的振る舞い(計算しやすい)をするが、下流は基本的にはカオスである。二体問題が三体問題になるようにまたたくまにカオスとなる。
このあたりは心と情報について別項でまとめます。
これを、精神科の病にあてはめると
- 1)病はカオスの中に現れた一定のパターンとして認識される。
- 2)多くの病は、繰り返し構造、入れ子構造の結果おこる。同時に治療も繰り返し構造入れ子構造の結果起こる。
- 3)病はマクロ視点でみると似ている。ミクロ視点でも同様。でも、全体としては同じ振る舞いをしない。
- 4)一番最初の始まりを同定するのは困難である。
経験上、心の病の原因はよくわからない場合があります。代表的な物は精神分析です。心の病の原因を探すこと主な目的とする治療法ですが、時間がかかるため精神科医でやっている人は少ない印象です。
内科は外科においては因果関係は非常に明確な場合が多く。
繰り返しや習慣は非常に強力なものです。また結果も予想が付かない。例えば、挨拶をするという習慣をもつ人間と挨拶をしないという習慣の人間の人生を想像すると容易です。もちろん結果は予想できないのですが、一回の挨拶では結果は違わないと思いますが、100回とや1000回と重ねているとその後に起きる人生の変化はもはや予想がつかないものになります。
昔、グイネスパルトロウ主演のスライディングドアという映画がありました。朝の電車に乗れたか乗り遅れたかで話が二つに分岐しという映画です。グイネスパルトロウの繊細な美しさと人生の運命に考えさせてくれるいい映画でした。
双子の人生が同じように見えて違ったりするように、ちょっとした分岐でかわるものです。
最後に、精神科の治療に当てはめてみましょう。健全なフラクタル、病的なフラクタルがあると仮定します。
- 1)健康な精神は健康な繰り返し構造の結果起こったフラクタルである。
- 2)その繰り返し構造の最初は簡単な事で良い。
- 3)しかしその結果は予測できない。
- 4)なぜ良くなったかも本質的には逆算は困難である。
- 5)パターンはある。
- 6)常に修正が必要。
難しい事をいってますが、命題としては「花が枯れたので、種から花を咲かせる」ことと殆ど一緒です。
「花が枯れたので、種から花を咲かせる」
- 1)原因検索はたくさんあり特定は困難。
- 2)種は小さくて良い。
- 3)どんな花が咲くかは種類はわかっても形は予想出来ない。
- 4)なぜ花の形の違いがあるのかの逆算は困難。
- 5)刈り込みなどの修正が必要
このカオスで曖昧な状況でどのように羅針盤をとったらいいかというと花ならば”他に咲いている美しい花と同じような育て方をする”という自然界にそもそもある健全なパターンを利用します。
これは心の病においてもまったく一緒で、個人だけの力では状況からの脱出が困難なので、すでにある健全なパターンを利用することになります。残存する健康なパターンを利用はいわずもがな、さらに、援助者や治療者が健全なパターンをもっていれば、鏡のように振る舞ったり軌道修正することで小さな変化から起こるカオスを常に修正できるので健全なパターンと健全なフラクタル(花)をもつことが可能になります。
また、そのようにフラクタルで考えると治療のフェイズは三つになります。
- 悪いフラクタルの成長を止める→悪循環を止める。
- カオス状態を維持する。→恒常状態を作る。
- 良いフラクタルの成長を開始しつねに修正を加える→好循環を作る。
原因検索が容易であれば、原因を止めることで問題はないですが心の問題はそもそも、それが難しいです。 にごっった川の原因をさぐりにいって上流にいくのには時間がかかるのです。ましてや濁りのもとが複数であったり、解決困難だった場合には原因はわかっても解決が不能ということになります。
でも結局いいたいことをシンプルにすると歌の歌詞みたいになります。
”愛は種、心は花”ここでいう愛は人の繋がりですね。花は健康的な心なんです。
これは子育ても一緒で原則的に未来の予想と原因の分析は困難です。よいと思われる習慣を繰り返しながら、軌道修正していくしかないというのが経験的にも正しいのだと思います。
精神科には神様(正しさを保証してくれる存在)がいないので、私にとって、神様の代わりが二体問題、三体問題、(別項で述べます。)フラクタル、カオスなんです。だから繰り返し説明をしているし、言葉がでてくる。でも、結局は健康的な人がもつ考え方にたどり付く。とすると、当たり前のことを難しくいっているだけのようにみえるけど、羅針盤がなければ道に迷うように私が治療するにも羅針盤が必要でその羅針盤をつきつめて考えてみなさんにみせているだけなんです。
さらにまとめていきます。
同じところで育った人間でも二人の人間が東京とニューヨークぐらい違いがある。同じ人間がいると仮定して、片方は挨拶をきちんとする片方は挨拶をしないという習慣があった場合、その結果は大きく違い、克つ予想ができない。ある人間がいるとしてその人間がなぜそのようになったのかを逆算して同じような人間を育てるのは困難を伴う。
未来の予測は困難であるのは、神経細胞がフラクタクルであるということからもたらせる結果である。
精神科的にいうと人をパターン認識で理解するのには一定の限界がある。
すごく悪くなっているようにみえて、原因は小さな繰り返しのことが多い。
成功例から成功因子を抽出するのは困難。同様に病気から病気因子を正確に抽出するのは困難。
病的な連続性を解決する唯一の方法はないということになりますが、これはあくまで個人の問題になった場合です。他に、よいパターンがあるとすればこれをまね修正することでパターンの改善がみられます。
これが2者関係で改善するということになります。ところが2者関係のみでは完結しません。最終的には、病的な連続性全体を健康的な連続性の中にいれる。ということが唯一の確かなゴールになります。
つまり、実際は人間の考える原因も、あやふやでパターンも本当は確かではないんです。でもそれがなぜ有用なのかというと最終的にそれを切っ掛けとして全体として健康な情報の流れと好循環が生まれるからです。
治療のすべてに関係性が必須であるし、病気の人の予後や社会生がその人自体の症状に依存しないのもそれは社会的な文脈のなかでしか病気(情報)が存在しないからです。
これは病の定義によります。
心の病というのは情報の病です。それを入れる箱はパターンの連続になるのですが、基本的に外界の情報の状態に依存し連続性にさらされます。その連続性がないと問題であるとすら他者が認識できません。うつであっても、無人島に一人ぽつんといれば、他の動物に指摘されるまでうつとして認識されません。動物は指摘してくれないですけど。
すなわち、すべての治療において関係性が無ければ治療が成り立たないというのは上記のような世界の特質に基づくもので、すべての治療の上流であり根っこなんです。でもこれはすごい大事なことで、理屈だけ言えば医者のような高い専門性がなくても、人の病を癒やす可能性があるということでもあります。しかし、この状況を俯瞰できる視点が非常に大事でこれには専門的な視点が必要なのはいわずもがなです。
ただこれは治療の日常でも散見されます。デイケアや入院、看護師やPSW(精神保険福祉師)、兄妹やまたは入院中の他の方が治療のキーになっていることは常に観察されることです。いわゆる気づきという言葉で集約されています。
ここまで読まれた方はいかがでしょうか? 難しかったでしょうか? でもいいたいことはすごいシンプルなんですよ。心に花を咲かせましょうということです。その為には種が要ります。そして、咲いた花を愛でるのはとても穏やかな気持ちになれるのです。