01 心の循環理論

情報とはなにか?心とフラクタル、二体問題、三体問題、カオス

 心とはなにか? 心とは情報を扱うもの?とすると次の疑問が、情報とはなにかという疑問です。
 情報とは何でしょう。

 結論としては

  •  情報は常に曖昧である。それは情報とは二つの脳を通って初めて外界にでるものであるからである。
  •  情報の量は量れるが常に変化していく。それは脳を通るたびに脳の曖昧さに影響を受けるから
  •  正確さを保つためにはビットコインのように全体での修正が必要であるがその全体も本質は曖昧である。
  •  神様がもしいるとすれば、情報の確かさを担保してくれる。


 パソコンでいうと情報とはビット情報です。0と1の固まりですね。これは、パソコンの記憶装置は01の数字の集合体なのでそうなります。量子コンピュータは違いそうですが、重なりということは、01のビットを並列で処理するので本質的には01ビットの集まりなのでしょうかね。これは詳しくないのでわかりません。

 さて、情報とはなにか考えたときに、雲や煙をつかむような話になります。煙のほうがまだケミカルーー化学的なので理解しやすいです。雲も氷と水の粒でみえるのでまだわかりやすいです。

 ”情報は文字である”とします。
 でも考えて見てください。 文字は地域や場所でバラバラです。日本語は日本語とよばれていますが、方言もあるし造語もあります。 有名な広辞苑だって改訂を続けています。アナウンサーや学校ではなるべく変えないようにしてますけど、それでも言葉を同じに保つのは難しい。
 

 ここで情報の特徴1 常に変化する。曖昧さがある。ということです。

 次は、私の上司にあたる先生が私に投げかけた疑問です。(いつもありがとうございます) 情報の量は量れるか?です。
 情報の流れを分子的に測ると、外界の分子の状態をうけて、脳が刺激として受け取り、それをさらに刺激として出すということになります。     この時に連続的に変化していきます。
 そう考えると、時間をとめられれば(時よ止まれといって時間をとめた)と情報の量は量れるが、基本的には変化し続けているという状況になります。


 まとめると 情報の量は量れるが常に変化していく。

次に同じように物理法則との比較ですが、情報に質量保存のような法則はあるか?という問いです。 情報が分子の状態からくるのならば有りそうなんですが、実際はないですね。
 情報の特性として、コピー機能がある、デリート機能がある。固まれば固まるほど複雑性を増すといった特徴があります。 情報だけを観察していくとこれも時間軸を固定すれば測ることはできます。もう一つは、個々人にとっては”情報量”とはあります。
 刺激が無い状態での個人のなかにある情報はインプットアウトプットがないぶん定量がしやすいはずです。脳から情報を取り出す技術があるとしたら死んだ脳のなかにある情報は定量できるはずです。
 ところが、集団で測った場合、活発に情報交換をしていると考えたときに、定量やその振る舞いの予測は途端に難しくなります。
ここまでの情報をまとめると情報とは常に変化する、曖昧さがある。瞬間は測れるが次の瞬間の予想はつきがたい。という振る舞いになります。

 これは、情報の成立そのものにかかわりがあります。

 循環的に考えると情報は、外界と二人の人間がいて初めて外界に現れます。 外界の刺激が脳に伝わり始めて情報と結像する。今度は、それを他者と共有することで初めて人間の世界に現れるのです。

 たとえば、尖った山の山腹に美味しい栗の木が食べ頃でたくさん落ちていたとします。でも、近くには熊が居た。

 それを一人でもってかえるならなんの問題もないですが、仲間と共有しないといけないときは、絵や言葉で共有しないといけない。仲間と共有しようとした瞬間、情報として世の中に現れる。

 尖った山に名前がいるし、栗の木が生えているポイントも、熊にも名前がいる。二人の間では


 情報がなぜ曖昧になるかというと人間が曖昧であるからです。
 次にこの三つの点を通るということが次のポイントです。


 ここで思い出すのは二体問題と三体問題です。中国発のSF小説のベストセラー”三体”というかわったタイトルでご存じの人もいるやもしれません。同程度の質量をもった二つの天体はわかりやすい規則正しい動きをするが、三つになると途端に運動が複雑になって予測が付きにくくなるというニュートン力学で観察される法則です。

 情報も自然と一人の個人を通るとわかりやすい動きをします。
 ところが、第三者を通ると同じように変化は予想がつかないのです。
 そのためにこの正確性を高めるために、言葉や数学、学問があり定義があり、法律があります。日常で理解しているようにつねにこの曖昧さを修正していかなければ、わかりあうのは困難になるのです。
 
 ちょっとここで二体問題と三体問題について詳しく書いていきます。

二体問題

 二体問題というと簡単にいうと、月と地球、地球と太陽の関係でまた、普通の時計などに使われる振り子がわかりやすいです。万有引力の問題で質量点が二つの場合ですね。規則正しい動きをします。

ここでわからないとか頭痛がするという人もいるでしょう。ものすごく簡単にいいますね。

 二体問題は恋愛小説でいうと、三角関係とか、不倫とかない(少ない)恋愛小説のようなものです。例えて言うなら、ローマの休日とか、イルマーレとか、猟奇的な彼女とか、俺物語とか、君の名はとか、若きウエルテルの悩みとか、嵐が丘とか、後半のタッチです。主人公達がくっつくかくっつかないか、ていうか最近では殆どくっつきます。あらすじもシンプルです。

 武道が好きな方ならヌンチャクがこれにあたります。

 戦争物なら、項羽と劉邦、英仏の100年戦争、東西冷戦、関ヶ原の戦い、戊辰戦争、ガンダムの一年戦争(シャアのせいで複雑になってますが)、多くの戦隊物や、仮面ライダーや特撮などがそれにあたりますね。筋書きもシンプルです。どっちが勝つか負けるかになります。

 

三体問題

 三体問題は、例えば 太陽が三つあったらとか、太陽と月と地球が同じぐらいの大きさだったらとか、の場合です。これは今のような動きはできなくなります。この問題をテーマを見事に昇華した中国発のSF小説”三体”は本当に面白かったです。

 振り子でいうと三重振り子がそれにあたります。

 恋愛小説でいうと、これは三角関係や不倫ですね。 

 基本的には主人公が決まっているので、大体どっちとくっつくかわかっていない場合も多いと思うんですが予想ができないケースも多いです。

 蜂蜜とクローバー(途中まで三体問題にみえてました。四体問題ですけど)とか、タラレバ娘とか、イングリッシュペイシェントとか、風と共に去りぬとか、梨泰院クラスとか、前半のタッチとか、おっさんずラブ、貴方のことはそれほどとかそうですね。

 実際は同性がくっつくことはないので振り子運動みたいになることが多いですけど、同性に関係性があれば状況はより複雑になります。クドカンのマンハッタンラブストーリーとかは複雑で面白かったですね。

 武器だと三節棍。

 戦争物だと、三国志や、信長の桶狭間までの立ち位置とか、第二次世界大戦の直前までの日本とか大戦前後のドイツ(国境を隣接する国が多い)、銀河英雄伝説(フェザーンのせい)とかですかね。

 二体問題、三体問題は幾何学や物理の問題なのでそれを人間の関係に当てはめるのは無理があるのですが、物事を決定する要素が二つの時は先がよみやすいけど、三つになったとたんに複雑になるのは、理解出来ると思います。

 

 情報の状態は、

停止、一方通行、二体問題にみられる規則正しい状態、三体問題にみられるようなカオスのような状態など4つの状態が考えられます。依存のところでくわしく述べる予定ですけど、じつは依存って”二体問題”なんですよね。

 この人のフラクタルを通る、三体問題のせいで情報は多くの場合ある程度のパターンはありつつもカオスな振る舞いをします。 

 自然界のフラクタクル→人間の脳のフラクタクル→人間の脳のフラクタクル→心のもとになる情報 

 なのでパターンの抽出はできるけれども、曖昧さから逃れられないんです。
心を家だとすると情報は心を組み立てる材料になります。「この柱はふにゃふにゃですがどうぞ使ってください」といわれたら強い心は組み立てられません。なので、ふにゃふにゃの材料を人間が堅くしちゃうんです。フラクタクルのなかからパターンの部分だけと抽出する。すると、こんどは情報は”確か”(そう人間が加工しただけなんですが)なのに自然はあいまいじゃんと逆転現象が起きます。
 歴史的にみると大規模農耕が始まったあたりから、集団の人数が50人を越えるとDNAに刻まれた能力だけで集団を維持するのは難しくなります。するとより”確かッぽい情報”が必要になる。

 ここからは私の仮説です。

 ここで人がえいやっと作ったのが”神”です。これは素晴らしい発明でした。居ないとは言えないです。神様がいるとすれば確かに素晴らしく、居ると知った瞬間、世界のこの耐えられない曖昧さは消えるんです。まさしく救われる。信仰は本当に人類にとって大事なものでした。
 神様がいると情報の質ががらりとかわります。


神様→自然のフラクタル→人間のフラクタル→人間のフラクタル→情報。

 情報の上流が神様なんで間違いがないですよね。法律も間違いが無い。ルールも身分も文字も間違いがない。 善と悪、神と悪魔、秩序と混沌の構造がうまれ、神様が勝ってくれれば秩序しかのこらないです。世界は二体問題になる。

 仏教もこの構造から逃れませんでした。ゴータマシッダルタの教えはまさしく世界はフラクタルとカオスであるという科学的で再現性があり自然界と人間の鋭い内省と観察をへて得た知見であるにも関わらず、彼を”神”=”確かなもの”にしなければ、教団として成立しえなかった。”一切空”っていうけどそれが仏性だというしかなかった。
 でも精神科の治療の上流の一滴は ”質量点が三つ以上あるので世界はカオスでフラクタルある”という点にしないといろんな宗教の人や無宗教の人の役に立つ事ができないと思います。
 神様がいなければ、世界はもっと混沌としていたと思うので、存在に感謝してます。世界に平和はこなかったでしょうし。ただ、神様の教えに基づいて治療はしないってだけです。

 

 まとめます。

 自然界の情報はフラクタルがベースにあるのでパターンと曖昧さを抱えています。

 情報は人の脳をすくなくとも二人を通って認識できるようになり、その後も複数の脳を通る度に曖昧になっていきます。

 フラクタルだけでなく、三体問題の結果おこるカオスも加わり多くの情報は混沌としています。

 しかし、多くの人はこの曖昧さとカオスに耐えられない。

 物事をありのままにみるというのは、この曖昧さをみる、曖昧さに耐えるということになります。

 でもこれは苦しみだけではないです。海にいき渚にたち、寄せては返す波をみるとき人は波の曖昧さに苦しむでしょうか。遠くで起きた嵐や、風が作った大小の不規則な波をみているとき多くの人は穏やかな気持ちでそれをみれるのじゃないでしょうか?

 曖昧さを苦しみに変えているのは我々の心だと気がついた時に、その心をコントロールする術を知った時に世の中を渚に立つような気持ちでみることができるようになります。

 美しい自然と心がつながっていると感じる事ができれば、心がもつ美しさにも気がつくことができるはずです。

  • この記事を書いた人

モジャクマシャギー

 アラフォーの精神科勤務医です。自分の外来や診療が円滑になり、利用者さんの治療がスムーズになることを目標にブログを書き始めました。   ですが、いろんな方にもみてもらってやくにたてたら嬉しいです。  病棟業務を中心に児童から認知症、最近はインターネットゲーム依存まで幅広くみています

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