原題を直訳すると「愛する技術です」
最初は堅い本だと思ったのですが、平易な文章が多く非常に読みやすかったです。
もっと若いときに読みたかったなと思うのと同時におそらく、愛する事に技術が必要なことと同様に読み解くことにも技術が必要だったのかも知れないので深い意味では理解できなかったのかもしれません。今読むと、うんうんそうですよね、そうですよねと首が千切れるぐらい肯くのですが、それは人生経験をへたいまだからこそかもしれません。
しかし、若い頃に読んでいればなにか違っていただろうと今の愛に関する結論への行程がかなり短くなったことを考えると若い人やみなさんに激しく勧めたいとも思えます。
まずは、この本は ”一人でいることが寂しい””恋人といると不安定になってしまう””母の愛が苦しい””父親のしつけがきびしくてつらい””愛”などと、”愛”の周辺で苦しまれている方に強くすすめます
愛とはなにかという定義に関する思索に始まり、様々な愛に関する形を議論し、現代社会に対してその愛のあり方の矛盾や問題点に言及し、最後に、精神科医らしく神経症との関わりについて述べています。
非常に西洋思想とキリスト教がベースですが、随所に東洋思想もはいっており、日本人でも入りやすいです。
いくつか論点をあげると、
- 愛とは存在不安からくる合一性への欲求である。
- 愛されることは愛することなしにはありえない。
- 健康的な自己愛とナルシズムの違いは現実が見えているかどうかであり、ナルシズムはむしろ自分を憎んでいる。
- 人類愛などの普遍的な愛がなければ、個人を本当の意味で愛することはできない。
- 支配的な母は本当の意味で子どもを愛しておらずむしろ憎んでいる。
- 愛は母子関係からくる”愛されるから愛する””貴方が必要だから愛する”から発展し”愛するから愛される””愛するから貴方が必要だ”という形に成熟していく。
もっと金言はありますがぱっと思い出すのはこれくらいです。
わりと外来でもいっていることも多いのじゃないでしょうか。
私がこの方と立場が違うのは、
すべての事象はDNAの繰り返しのように事象の繰り返しでおきたフラクタクルでありカオスティックな振る舞いをするものであり、人の心もその範疇を抜け出せないこと。 そのために価値とか成熟という概念も常に相対的であるということ。本質的に正解や成熟などの確固たる物はなく、既存のパターンを真似たり、ランダムパターンの結果あらたパターンの中で生きるしかないということ。
そのために、精神疾患という概念も相対的なものでしかなく、解決方法は既存のパターンかランダムパターンによって解決するしかないということ
私にはコアとなる宗教体験がないので成熟した愛というより”破綻が少ない愛”といったほうがしっくりきます。そもそもの発端が”存在の不安定さ”からくるのであれば、それがなくなればじゃあ愛さないのかというと違う気がします。もっとバリエーションがありますし、この本が書かれた第二次世界大戦後は世情不安もあり、愛とは貴いものという考えがやはりあったと思いますが、私自身は歪なものとか、暗闇とか、破綻とかそういったネガティブなものに対しても私自身や私が愛する物にたいして被害がなければ愛おしく感じるのですね。その辺が違いますし、また時代とともに思想も変わってきているのではないかと思います。
ただ、私自身は「今まで駄目になった恋愛は殆ど、私が愛されなかったわけでなく、私が愛していなかっただけだ」と気がついてからは本当に目がうろこで、今まで抱えていた苦しみが一気にとれたことを思うと、この本の愛に関する思索の価値は計り知れないし同じように悩む方は沢山おられると思うので、是非、この本を読みながら考えてもらえばなと思います。
あと、印象に残っているのは愛するためには一人でなにもしない時間に耐えられねばならないといったところですね。
昔、苦手でいまも苦手なのでぶっささりました。ただ、気持ちが疲れたときに瞑想みたいなことをするようにして大分ましになりました。
もう一つ、同じようなテーマの映画を紹介します。とはいってももっとポップな感じです。
この映画の魅力はジョンキューザックや、ジャックブラックの演技や、CD世代には音楽の小ネタでもあるんですが、ストーリーの骨子は、”今の彼女と上手くいかないのがなんでかわからない。そうだ、昔、自分をふった彼女に自分をふった理由を聞いてみよう”というところです。
オチをいうと(下をドラッグで反転)
主人公はふられたわけでなく、タイミングがわるかったり、表面上しかみてなかったり、向こうがふられたと思っていたりしたわけで本当の意味で好きじゃなかったわけです。
ニーズがあればこの本を深掘りして書いてもいいのかなと考えています。それではまた。