04 曖昧な用語について 

04f 理想の治療像 患者という言葉 白衣

 この投稿では、私が考える理想の治療像とこのサイトや診療で患者という言葉を使わない理由について説明していきます。

理想の治療像

 先生のおかげです治りましたよ。ありがとうございます。って言われるたびにいつもちょっと鬼太郎みたいな妖怪アンテナが立ちます。
 ”この人は私や病院に依存してないか”チェックせねば。
「妖怪ホスピタリズムの気配!!」と鬼太郎みたいになります。
矛盾しているようですが、治療の終わりかけにいつの間にかこなくなったぐらいのほうがほっとします。
 矛盾しているようですが、理由は単純で後者は自己完結した治療だから、前者は病院にずっとこないといけなくなる可能性があるからです。
 この部分も内科と大きく違いますね。医療自体また来てねと言えない仕事で、基本良くなったら来ないです。

 この信頼と疑い、依存と自立のバランスは永遠の課題です。
 精神科は医者と患者の相性問題があります。
 私はADHDの衝動性のこともあり、思った事をストレートにいうってスタイルで、利用者さんにも最初に伝えるのですが、これが苦手な人は当然一定数いると思います。ベテランの先生はこのあたりうまくてやんわりとつきあっていくって感じの先生が多いです。
 エビデンスがないので感覚的な問題なんですが、よっぽど困難な事例でないかぎり精神科医のうでのウデノミセドコロジャイって場面はなくって、”余計なことをしなければ治っていく”という金言のとおりな事が多いです。
 これはスポーツ選手とコーチの関係に似ていて、別にコーチが一流の選手である必要はなくって、選手が知らないことを知っている、わからないことがわかるという状況が大事であると言えます。
 ただ、不安が強かったり思いこみが強い人は、マイケルチャンみたいな医者にかからねばと強迫的になることもあってこうなると、無駄に時間というコストを払うのでもったいないなと思います。必要だったら紹介しますしね。
 精神科医に腕の差がないわけではないし、目が真っ赤なオームみたいなひとをナウシカみたいに鮮やかに薬を使わず沈める人は実際にいますし、めちゃめちゃ混乱している状況を言葉という剣一つであざやかに制圧するユパ様みたいな人も居ます。いつも枯れていて穏やかで仏みたいだなとおもっていたら要所で本質をつく言葉をいうババ様もいます。目はみえてますけど。(細かったです) でもみんながみんなナウシカの登場人物ではないし、一定以上の質とNGをしないということがもっと重要なんです。
 巨神兵みたいなひとはさすがにあったことないですね。


 スポーツや音楽など習い事、勉強でわかると思うのですが、先生やコーチのレベルが一定以上あれば、多くの場合問題がなく、それよりも大事な要因は、本人の練習の質であったり、時間のコストの管理とか、学ぼうとする態度であるとか、そういった状況が大事だと思います。
 自分の状況を可能な限りまとめてくる人や、本屋やネットをみて自分の状況と照らし合わせたり、それも鵜呑みにすることなく自分で実証しながらやる人のほうが治りは当然いいのです。
 ドクターショッピングを繰り返す人はこのあたりがみえてないのだと思います。
 そう考えると名医の条件とは精神科の利用者さんにやる気ならぬ”治す気”を出させる人かなと思います。


 ながながと書きましたが結論として、貴方が考え、貴方が実践し、貴方が貴方のためにやった治療こそが失敗もあったかも知れないが、最高で至高の治療であるってことです。

(医者にやるなといわれてやっちまったことはのぞく。これは本当にやめてください。)


 精神科をやる喜びはいくつかありますけど、その一つは”利用者さんがこちらの予想を超えて良くなってくること”です。
 経験をつむと結末が大体予想できるようになってくるんですけど、越える場合も多々有るんですよね。このときは感動します。冒険小説よむ気分です。
 そういう人がもっとでるようにこのブログが訳にたてばなと思います。

患者 利用者、クライアント

 このブログでは患者という言葉を使わずに”利用者”という言葉を使っています。

  英語で言うとペイシェント=痛みに耐える人ですね

 この”患者”という言葉がなぜあいまいかというと
 前提として理想の治療がどういうもののかというのがあります。

 内科や外科と違って、医者としては、患者さんの心のシステムに医者がのこっていると治療が終わらなくなるのでというところがあります。   簡単にいうと医者依存を作り出したくない。パターナリズムの反省もある。

 パターナリズムというのは、昭和的な父権主義のように、”お医者様”が”知識のない患者”にいろいろ”方針を決めてあげる"ことです。もともと自由な決定権を阻害する人権侵害であり、今は、専門知識を得るためには以前よりはコストがかからなくなってきたのと、医療の知識が膨大になり、また変化も激しく、専門性が細分化されたためこのスタイルではとてもやっていけなくなったのもあり、批判されていました。

 自立こそが最良のゴールだから内科や外科のような関係性だと治療が円滑にすすまないというところがあります。
 そのためにいろんな言い方をしていて。クライアント(依頼者)ユーザー 利用者お客さんなどなどです。でもしっくりくるのが未だにないです。○○さんっていうのが一番いいきがします。

 この医者依存をつくらないために、白衣を着ないという先生もいます。これはエビデンス(イギリスの研究でスーツとボタンダウンのシャツが一番成績がよかったのです。)もあって私もすごく感銘をうけて着なかったのですが、総合病院の精神科では院長に怒られました。看護師さんもやりにくいみたいなので結局は白衣着てます。よごしてもいいし。
 ある先生いわく、これは鎧なんだといってました。

 いまではこの距離感を言葉遣いや態度や指示のだしかたでやったりはするんですが、一番やっかいなのは私の心にある「頼られたい」「かっこよく思われたい」「ありがとうといわれたい」という我執です。
 これはとれないですね。ひょこひょこ頭をだしているから無意識でもあるでしょう。いまでもあるなっておもっちゃってこうやって書き出すのも本当に恥ずかしいことです。 いつももやもやしています。

 言葉狩りというのがありますが、結局は使う人間の側の問題なので人間の心のほうが変わる事がなければ同じ問題を繰り返すだけなので、言葉を消しても意味が無いんですが、”患者”という言葉を使おうとするたびその自分の我執がひょっこりはんして、いやな自分をみています。
もっと言い言葉があれば教えてもらいたいですね。

  • この記事を書いた人

モジャクマシャギー

 アラフォーの精神科勤務医です。自分の外来や診療が円滑になり、利用者さんの治療がスムーズになることを目標にブログを書き始めました。   ですが、いろんな方にもみてもらってやくにたてたら嬉しいです。  病棟業務を中心に児童から認知症、最近はインターネットゲーム依存まで幅広くみています

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