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04 曖昧な用語について 

美醜

 この用語もめちゃくちゃ曖昧です。

 なのに、人の心を捉えて放さない問題です。私も”170センチなければ男じゃない”っていっている女の子にショックをうけたことがあります。思春期の子が悩むのはよくわかります。前提として、美醜が時代や文化によってまったく違うことであるのに、さも、美人というのはくっきりとした概念で受け入れやすいようなバイアスがあります。
 また、”美人はある部分得だ”ぐらいの姿勢なら”脚が速いのは得だ”ぐらいの合理的な解釈であると思いますが、美人であれば”すべてが解決する””顔が嫌だから死にたい”みたいな考えになるととても合理的な解釈であるといえません。部分の問題でもあるにもかかわらず、全体の問題として拡大解釈しやすいし、やや被害妄想的になることが有ります。
 言っていることは、親が金持ちだと得だとか、先進国に生まれたら得だとか、バブルのころで上手く行ったとか、若いからいいいとか、そんな感じのことなんですが、それぞれ文脈が違ってきます。
 そこを理由にすると暴論になるのに、自分の顔のことになれば人は冷静さを失いがちです。
 循環的に考えると仮説としては、鏡による間欠刺激が一因だと考えられます。
 間欠刺激とは連続刺激と違い時間をあけて与える刺激のことです。

 ハトをとばすシナプスのところで書いたとおりシナプスは連続刺激に弱く同じ刺激で鈍化していきます。トイレの臭いがきにならなくなったり、ネットのネタであるゲシュタルト崩壊が起こるのはその為です。しかし、間欠刺激に関しては鈍化することがなくむしろ鋭敏になります。シナプス間隙の強化、ハトの例えで言うとハトが増えていくのです。
 例えば英単語を覚えるために一回で3分かかるとします。時間をあけて1分を二回にわけて覚えたほうが定着がいいといことが知られています。エビングハウス忘却曲線というのを調べれば沢山情報がでてきます。
 ガチャ系のソーシャルゲームで依存度を高めるためにもこの間欠刺激の仕組みがとられています。

 さて自分の顔の間欠刺激とはなんでしょうか? 

 それは朝の洗面の時です。
 みなさん、自分の顔は覚えていますよね。鏡や写真で知っているからです。
 この顔の視覚刺激と扁桃体の不安や不快の感情が結びついてしまったら、その情報の循環をほぼ毎日受ける事になります。”ルッキズム” 第一印象がすべてだという概念に支配されている現代においてこれは逃れようのない部分です。
 洗面をし、髭をそり、化粧をする。
 毎日、毎日、自分の顔=不快 という情報を繰り返し与えられ、認知は歪み、整形するしかない、美人はずるい。美人は得しているという固定概念と徐々に結びつき合理的でない概念が徐々に拡大していきます。
 極論を言えば世の中から鏡がなければすべて起こらない問題なのです。

 そもそも美人とは各パーツの平均値にしかすぎません。パーツパーツが不快の感情を及ぼさないてことが重要で、それに性的(セクシャルな、ジェンダー的な)な記号が加わるもので概念ができあがるものです。そのため、同じような顔に収束してきます。時代によって際はあるものの他国の美人をならべてみて似ているなと思われる方も多いと思います。
 

 上記の前提で考えると解決方法が浮かび上がっています。

 まずはこのバイアスの認識です。まずは自分の顔に関するバイアスと、社会全体におけるバイアスについて認識するだけで、美に関する認識の上の階に上れます。悪くはないながめです。人が美醜に一喜一憂し大金をはたき自分を作り上げている姿は悲劇的ですが時に喜劇のようです。
 次に、部分の問題である認識から人の魅力の全体像を眺めます。これは様々なパーツで出来ています。体力や知力、感情の力、人間関係、財力、記憶、経験それらをありのままに見ましょう。これで美しさの階段をまた一つ登れます。自分の認識がかわり人の認識が変わっていきます。人間関係の奥深さを理解できるようになるはずです。顔で人を選ばなくなった貴方は他の人にも魅力的に映るはずです。そもそも顔で人を選ぶ人に好きになって欲しいですか?胸のカップ数で女性をみちゃう高校生中学生、身長で線引きする女子高生となにがちがうのですか? 価値観やこだわりは自由なのでべつに否定はしませんが自分の子供がそうだったら大丈夫か?と心配するはずです。この段階になるとそう考えられるはずです。
 自分をありのままにみることができたら、次は世界をありのままに見ましょう。自然の造形をみて感じる恍惚とした感情はまさしくギフトです。これは否定する必要はありません。我々の本性ですから。雨上がりの青空は掛け値なしに美しい。夕日に浮かび上がる影の美しさ。路傍に咲く花のけなげさ。肯定する必要もなければ否定する余地もありません。完璧な美しさです。
 そうして認識の階段を登り、牡鹿のように朝日をあび山の山頂にたつ貴方の顔は美しいはずです。なぜなら世界は美しく貴方は世界の一部ですから。鏡をみて悩むあなたはそこにいません。

 ハードルは高いですが、自分の顔になやまれている方は鏡のない世界に行きましょう。山を縦走したり、辺境にいくことをおすすめします。 鏡をみない世界でニコニコと笑い貴方に笑いかける人々がきっといるはずです。化粧をしていない貴方はその人達にきっと笑いかけることができるはずです。
 ちなみに私の身長は秘密です。だって精神科医の身長ってどうでもいいとおもいませんか? それとも気になる? まあ、人それぞれそれは自由です。

  • この記事を書いた人

モジャクマシャギー

 アラフォーの精神科勤務医です。自分の外来や診療が円滑になり、利用者さんの治療がスムーズになることを目標にブログを書き始めました。   ですが、いろんな方にもみてもらってやくにたてたら嬉しいです。  病棟業務を中心に児童から認知症、最近はインターネットゲーム依存まで幅広くみています

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