人は同じ過ちを繰り返す。これはなんの名言か検索したらガンダムがヒットしました。
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶという名言はドイツの政治家の言葉です。
外来で、セカンド女子体質について質問を受けました。セカンド女子とは男性との付き合いのなかで、本命になれず、不倫や浮気相手としての立場を繰り返してしまう女性のことです。
大前提として、人は同じ過ちを繰り返します。セカンド女子体質自体は個人の価値感によるのなら別にいいのですが、それを解決したいという前提で話をしていきます。
戦争は何度も繰り返されましたし、株の暴落、テロの歴史、暴動と革命、政治家や芸能人の不祥事、繰り返し起こることには枚挙にいとまがありません。多くの起業家も様々な失敗を繰り返しています。
タイタニック事件があり様々な安全対策がとられたにも関わらず、セウオル号の沈没事故が起きた。
残念ながら人は失敗から学ぶのが苦手な生き物なのです。これは私も含めてです。
なぜ、同じ失敗を繰り返すのでしょう?要因を考えて見ましょう。
まず、大きく4つにわけます。 循環理論で考えて見ましょう。
- A インプットの問題
- B 情報処理の問題
- C アウトプットの問題
- D 外界の問題。
さらに細かくわけてきます。
A)インプットの問題
情報の取捨選択ができない。
選べない情報
選ばずをえない情報
そもそも本質的な情報を得るためにある程度の資質がいる。大きな失敗は小さなの要因の積み重ねからくるので予測がしづらい。
B)情報処理の問題
1)自分が正しいと思っちゃう問題。人は自分を賢いと思わないと生きていけないという課題。
2)感情の処理の問題ー不安。
3)感情の処理の問題ー渇望感。
4) 問題が理解の範疇を超えている。全体像がつかめない。要因が多く複雑である。
5)解決すべき問題がずれている。誰が悪い? なにが本質的か? 火元はどこか?
6)解決すべき問題を直視したくない。
C) アウトプットの問題
1)そもそも世界はそんなに変わらない。
2)アウトプットをしない。できない。しても無駄だと思っている。するのが恥ずかしい。
3)問題を悪化するためのアウトプットをしている。
4)繰り返しが足りない。
D)外界の問題。
1)外界の価値観のほうが歪んでいる。
2)間違いを促進する状況がある。
3)変わったとしてもまた戻る。
4)変えないといけない状況が多すぎる。大きすぎる。
5)外界がそれを望んでいない。
ざっと書くとこんな風になります。それでは詳しく説明していきましょう。
A)インプットの問題
人は正しくみることができません。基本的には耳障りのいい情報を得ることがほとんどです。
まず、大原則ですが、このブログを読んでもらっているかたならわかると思うのですが、そもそもこの循環構造が、人の心のコントロールの難しさ、煩雑さ、多様さ、複雑さを生み出しています。最終的にはインプットを変えるだけなんですが、インプット自体はほぼほぼコントロールが効かないのでアウトプットを通じてインプットを変えるということをしないといけないのです。外界からの情報を受けるというのは本質は受け身なので、コントロールが効かないものになります。でも、ここを変えなければ脳の中身は一切変わることはないのです。だから、本質的に依存的な人や、小さな子供が周りの人間や母親のせいにするのは本質的には間違いではないです。
間違いではないですが、一般成人に求められる態度ではないというのはこれはしかたない話で、この一連の流れが滞るのがこころの問題であるというのがこのブログの骨子でもあります。
生まれた場所や皮膚の色や目の色はまず選べません。時代も選べない。引っ越しはできるけれどもできない人もいる。読む本は選べる。付き合う人も選べるけどみんなではない。でもインターネットの登場で検索するワードは選べますね。表示される広告やトップで上がってくるニュースは選べない。
定めは変えられない。運命は変えられる(変えにくい)
この状況は個々人によってちがうのでみなさん。考えてみてください。
この節の最初のテーマに沿っていうと”彼女や妻子などがいて魅力的な男性”の情報にアクセスしやすい場所にいる。というのがあります。普通に考えれば大抵の場所がそうですね。仕事を頑張って真面目で優秀な人ほど”選ばずを得ない”情報になります。
ここだけをとらえると。”頑張り屋でまじめで優秀な人ほど不倫やセカンドになりやすい”というパターンがみえます。ここまで読んだ女性でぐさりとなる人もいるんじゃないでしょうか。
次に、”彼女がおらず、未婚で魅力的な男性”の情報にアクセスできない場所にいるということです。
この場合は、社交的でなかったり、仕事で疲れすぎていたり、友達が少なかったり、自分に自信がなかった、”結婚するか付き合うか”という条件で男性との付き合いをしてしまう人はこのパターンです。そもそも世の中にはたくさんいるのですが、知り合ったとしても表面的だったり、すれ違う程度のことだったりします。
これは旅行ににていて旅行先を選ぶのは基本的には表面的なことがら、ガイドブックやSNSの写真、テレビの情報になります。でも実際に行ってみると旅行はやり方次第で刺激的で非日常感溢れるものになることは皆さん経験があるのではと思います。
つまりアクセスできない情報もある中で行動を起こさないといけないという地図がないのに出発するというようなめちゃくちゃな状態で行動を決めるというのでそりゃ難しいはずです。でもこれをやれた人から蟻地獄のような状況からやっと抜け出せる。
経験でこの状態を知っている人が行動を起こすようにアドバイスしても、経験で知らない人はとにかく不安になりますし自分が知ってる情報で行動を起こしがちなのでそりゃ、情報のある場所までたどり着けないということになります。
つまり状況の打開に必要な情報にアクセスできない人は 基本的に非社交的で、不安が強く保守的で現状維持を好み、先人たちの成功体験を疑ってかかるタイプの人ということになります。
グサグサくる人もいると思うのですが、別にそれ自体は長所なんですよ。ただ状況によっては短所になってしまうってことですね。
B)情報処理の問題
自分がかしこいと思っちゃう問題
ですね。再三書いている通り、人は知的な限界がありバイアスがあり問題解決能力にはかなりの欠陥がある生き物です。なので楽観的な見方をしないと思考がパニックになるので人は現状を言い風に捉えがちです。
状況を打破する情報にアクセスできたとしても、このバイアスが邪魔をして情報を取り込めないことが多々あります。
食べ物と一緒で情報には美味いうまくない好き嫌いがあります。人が食べているのをみて食べることができますが基本誰も食べていない情報は食べません。栄養があっても不味い情報は嫌がります。誰だって気分がよくなりたいですから。
感情の問題 不安
インプットがあっても不安が強いとインプットも滞りますし次のアウトプットができない状態になります。不安になりたくないというのが第一次の目標になる場合はその不安が合理的な不安であれば問題ないのですが、いろいろこじれている人は当然その不安が過剰だったりずれています。
例えば、結婚が不安でしょうがないというパターンの場合はそもそもそのリスクがゼロである不倫や2番目のポジションの方が落ち着くはずです。
色んな人と出会っても不安で選べなくなるというパターンはありがちで 特に経験を積むと色んな情報が入るのでそうなりがちです。
行動をしないということにこの不安を使う人たちは基本的に閉じたループの中を彷徨うことになります。逆に行動をすることに不安のエネルギーを使えたらリスクはあるものの、人生はどんどん変化していきます。これもどっちがいいという話ではなく状況と目的によるので、セカンド女子や不倫関係から脱したいなら、行動する理由を探し適切なリスクをとって行動するしかないです。不安自体は悪者でなく使い方次第なのです。
感情の問題 渇望
典型的には愛されたい問題 愛したい問題があります。この問題は基本的には愛し愛されることがバランスをとる方法なんですが、このバランスが崩れている場合、例えば愛されたい気持ちが極端に強い場合は束縛をよしとしたり、好きでもない人や相性や釣り合いが悪い人と結婚をしたりとか非常にバランスを書きます。不倫はすごい嫌だけどとても大事にしてくれるからみたいな状態をよしとしてます。
特に自己愛が低い人にみられがちなパターンで、本来、信頼感をベースにした愛情の関係は育むのに時間がかかるものですが、その関係をゆっくり気付くのが待てなかったり、激しい人にばっかりいったりします。多くの場合、好意から始まって、自己愛の延長である他者愛に結びつくのですが、愛されたい願望が強く途中で破綻することもままあります。
逆に愛したい問題の場合は、理想を作りそれを追いかけていたり、世話がかかる人が側にいないとダメだったり、世話を焼きすぎて相手をダメにしたりします。相手は明らかにお金や世話などなどを求めてきているのにそれをよしとしてしまいます。「でも好きなの」みたいなことを言っているイメージです。ある意味ウインウインなので長続きする場合もありますが、肉食獣と草食獣が結婚するみたいなとこもあるので漫画の世界は別として破綻がみえている場合もあります。
このように渇望が強い場合にも破綻しやすくセカンドや不倫に望まずともハマる要因になります。
問題が理解の範疇を超えている。全体像がつかめない。要因が多く複雑である。
次に問題自体の全体像が掴みにくい問題があります。本やブログなどを見渡して恋愛のハウツーを見ても端的でぶつ切りな情報が多いです。ドラマや映画はなどはその隙間に埋める情報ですが、本質的な部分は辛いというのが本音でわかっちゃいるけどやめられないってことがあります。
5)解決すべき問題がずれている。誰が悪い? なにが本質的か? 火元はどこか?
解決方法は、短期的にはリスクをとって長期的には得をするという場合も多いのでそれは嫌がるし本能的には避けてしまいます。
また問題を若さや体重や見た目やお金、相手のせいなどわかりやすいものにすり替えることもよくあるパターンです。
運が悪いというのはあながち間違いじゃないんですが、占いにハマりすぎるのも迷走のきっかけになります。
自分が原因であることは間違いではないですが、自分を卑下したり責めると自己愛の低下を招いたりしています。
問題の本質はアウトプットをコントロールしインプットを変えるということしかないんです。それをひたすら繰り返し世界と自分を変えコントロールしていく。 でも端的な部分だけかえても循環に気がつかなければ、結局は何もかわらない。
6)解決すべき問題を直視したくない。
セカンド女子、不倫沼の問題は究極のところ自分を知り人と知るというプロセスによってしか解決できません。
ただ、この自分を変えようとする時にこの循環に気がついた人だけだけが世界と自分を変えていける。大事なのは結果でなくこのプロセスであって小さな循環の繰り返しなんです。ところがその本質に目が向かなければ。同じところをぐるぐるとまわってしまう。
またこの自分を知るというプロセスは自分を変えるというプロセスでもあるので自分の嫌な面を見ることになります。過去の過ちもみつめなおさないといけない。親に怒られる先生に説教をされる誰も嫌でしょう。
でも楽しい側面もある。このプロセスは最初はしんどいものの、人生を変え、見方を変え、自分だけでなく他人をも変えてしまう。
最初に一歩は人を知ろうとすること、自分を知ろうとすること。その繰り返しが人生を変えるというシンプルな理解が必要です。
アウトプットの問題
そもそも世界はそんなに変わらない。
さて、残念ながら正しい行動をしたとしても結果はすぐに出ません。海を埋めようと土を投げ入れている気分になります。多くの人が短期的な成果を求めてしまいます。短期的な成果が欲しい場合はこのブログは不適格かもしれません。それに最初のステップは自分を知るというためのアウトプットなので必要ないという人も多いのです。ところが心はこの循環構造そのものが心なので改めて知り直さなければいけないといけません。そもそも世界を変えていく中で知らなかった自分に気がつくことも多いし人は変化していくものです。自分とは曖昧で変わっていくものだということを知るということなので、正確には知るというより知り続けるということが正確です。
これは慣れないと最初は本当にしんどい作業です。
アウトプットをしない。できない。しても無駄だと思っている。するのが恥ずかしい。
次にこのアウトプット自体ができない人がいます。人見知りであるとか大人不安の場合もあるし理屈を聞いただけで満足するタイプの方もいればやり方がわからない人であったり、こだわりが強く興味の幅が狭かったりする人です。また記憶力に問題があったり集中力の問題も含みます。環境を変える、習慣を変える、読む本を変えるなど色々選択肢は多いのですが、同じパターンを繰り返す場合も多いです。
ただこの部分は訓練でどうとでもなる場合もあるのですが、その訓練ですら嫌がったりやらない場合は本当にどうしようもないです。使える薬があれば使って機が熟するのを辛抱強く待つという作業になります。
また人に本心を語らない場合もこれに当たります。怒られるから恥ずかしいから入院させられるからさまざまな理由で本心を言わないです。苦しいのにそれを表にださないというのもこれにあたります。いい顔をしてしまうというのは生きるのにシビアなネガティブな環境では生存確率を上げる場合もありますが、周りに余裕がありポジティブな環境下では生存率を下げてしまう場合があります。 野良猫は弱った姿は見せられないけど、家猫はみせないと飼い主が助けてくれません。
問題を悪化するためのアウトプットをしている。
いいアウトプットをしていたとしても悪いアウトプットが多ければ意味がありません。酒や薬物インターネットゲームがこれに当たります。ネットの情報は玉石混交なので薬などの治療法も飲むなという情報を探してもいくらでも出てきます。
セカンド女子や不倫問題で考えれば、恋愛や付き合いのいい部分だけを抽出しているようにも見えるので 未来がないだけで現在だけを見れば何ら問題がないので未来を売って現在を買っているんだと思えば何ら問題はないです。きつい言い方をすれば未来を見据える力がないからドツボにハマっているということにもなりますが。
現在と未来へのアウトプットのバランスのとり方は難しく学習も必要です。
繰り返しが足りない。
これはシンプルですね。特に最初が多いです。一回やったけど無駄だったというのがが決め台詞で、あと昔やってたというのも決め台詞です。それやったことがあるけど人を信じてみたけどダメだったとか 〇〇なんて無駄だと決めつけるタイプにも多いですね。自分も含めて人って海岸で遊んだだけで海のこと知った気になるんですよね。世界は本当に広いので過度な一般化はなかなかできないと思うのですが、みんな大好き”過度な一般化”なので、この修正はなかなか難しいです。基本的には繰り返しと言うより習慣になるようなものがいいのですが、その習慣化自体が難しいなと思います。
過度な一般化としては、男は○○、人を信じてもいいことはないとか、○○する人は駄目とかですかね。
D)外界の問題。
外界の価値観のほうがずれている、歪んでいる。
歪んでいるとは言い過ぎかもしれませんが、自身がこうありたいと思っても外界の価値観がずれてると修正が起きません。不倫している人たちが同じように不倫している人たちとずっといたら居心地はよくても学習がなされないです。そもそも価値観が違い話があわなくなるので古い友人は別にして、大体同じ人たちと一緒にいることになります。独身の人たちは独身の人たちとつるみがちになり、既婚は既婚と連むようになるので仕方ないとも言えます。また、統計的にも女性の浮気率も増えているみたいで周りの環境によっては修正がされないです。
生存が簡単な現代社会と都会生活に置いても同様で助け合いが必要な時代や地域では不倫とかセカンドとかやってる余裕はないので価値観や行動の修正を余儀なくされます。
また、不倫女子、セカンド女子は男性側からの修正の力動は、修正の力ももちろんあると思うのですが、逆に促進する可能性も強いので友人を作るなら浮気をしないタイプの男性を選ぶしかないのですが、そもそもそういう男性と友達になる力があれば沼に入らずに済んだともいえるので難しいでしょう。
間違いを促進する作用がある。
これは セカンド女子や不倫でも相手がいるだけマシだと思わせるような何かです。資本主義社会においては経済活動を促進させる動きは強いので、カップル向けのイベントや買い物や娯楽施設に参加できないことになります。
考えてみれば不思議な話で集団性を維持するための祭りのような機構が経済活動に組み込まれた結果,、一人では何も楽しめないというような印象を世の中があたえています。生きるために集団を維持する機構が、世の中が平和になり単身でも生きられるという喜ばしい話が逆に個人を寂しさで苦しめるという逆転現象が起きています。単調な生存活動が終焉を告げ年何回かしかなかった祭りが日常的になりこの祭りを楽しむことが人生の価値観を左右してしまっている。資本主義の歯車がそれを後押ししてゆく。”生きのびた”喜びのためにあった祭り(非日常)が、生きる喜びのために生きる――日常のために非日常があったのに、非日常のために日常を生きるというのは冷静に考えるとなんかいびつです。
そもそも未来を売って現在の喜びを得るような行為でもあるので理解して割り切れば、なんら問題はありません。現在の悪循環のループ抜け出すには労力と時間がいりますし、寂しい時間に耐えないといけないです。訓練も必要で多くは痛みを伴います。お金もかかるでしょう。それは、現在を売って未来を買う行為です。
変わったとしてもまた戻る
ここまで書いたらもうゴールが見えている人も多いでしょう。
自分を知るためのアウトプットをしインプットを変えそしてその中で出てきた目標を定め循環を促進し人を知る。ここまでは多くの人が実現可能です。
面白い婚活のブログがありました。その方は、お金と時間をつぎ込み結婚に至ったのですが、同居を始めてすぐに、「あ、自分は人と住むのに向いていない」と気が付いてすぐに離婚されたそうです。
繰り返しおこる循環の力は強力です。そして自分は変えられても世界は簡単には変わらない。貴方が頑張って不倫相手と別れても向こうからやってくる。元に戻る切っ掛けは些細なものです。そして同じような構造におちいり、また繰り返す。これはそもそもそういう性質のなのでしかたなく、諦めず試行錯誤するしかないです。
変えないといけない状況が多すぎる。大きすぎる。
インプットの問題が煩雑である場合、いくつも変えないといけない場合があります。読む本を変え、週末の予定を変え、友人を作り、引っ越しをし、家のインテリアを変え、親から離れたり、職場を変えたり、話し方やなど変えないといけないものが多すぎるときは困難に思えるし難しいでしょう。
このブログでは循環構造を利用した小さな繰り返しを推奨してますしそれで十分なんですが、大きい変化が必要な時もあるのでその場合には解決が困難になります。
外界がそれを望んでいない。
わかりやすいところでいえば、相手方ですね。操作性が高い(人の心理を誘導するのが上手い)相手だった場合、コントロールされる場合もあるでしょう。また、親が結婚や自立を望んでいない(深層心理も含めて)場合も、この沼にはまりやすいと思います。一人っ子で30になるまでは、さみしいからなるべく手元に残るようになにもいわなかったのに、30歳近くになって急に結婚しろ自立しろと言い出したり、自立を望まなかったほうの親が急に亡くなったなんでケースはよくあるのじゃないでしょうか。経済活動的にも、お一人様より、複数人のほうが当然、単価が高くなるので社会的にも、セカンドや不倫であってもお金が回るので促進する働きになります。
田舎のほうの小さな集落やわりと孤立した職場であれば、不倫やセカンドはすぐにばれるので修正がおきます。都会のほうは目立たないので起きやすい事象であると思います。
誰かがセカンド女子になったり不倫沼にはまっていることで外界がすこしででも得をするなら、やはりそれを維持するほうの働きになります。
まとめ シンプルに考えると
さて、こうやって色々書いてきましたが、グサグサと指摘されたような気がした人も多いのではないかと思います。ただシンプルに考えると、人と人生と自分と世界にについて知らないから同じ所をグルグルと回っているのだということも言えます。そういうことを知る事は私にとっては喜びなのですが、それを苦痛に感じる人はいるのはわかります。それは波打ち際に立っていたり、麓の森で迷子になっているようなもので、私の信念として、人生を俯瞰でき、心のからくりをしれば、波打ち際を抜け大海に出るように、森をぬけ山麓から麓を眺めるような気持ちになることができます。別にそういう風になったからといって、人生の苦痛が終わりを迎えるわけではないですが、ただ”知る”ことによって選択肢が増えます。
それが難しい、どうにかしてくれと言う人もいるとは思うのですが、基本的には私は道を示せるだけで自身で行動を起こし、知ることでしか脳の変化は起きません。
ぜひ最良の選択を選ばれるよう心から願います